こんにちは、酪農学園大学ルミノロジー研究室の泉です。
皆さんはこんな経験がありませんか?
私にとっての癒やしの時間であります、愛犬3匹とカミサンの散歩をしていたある日、突然、散歩コースで更地が目に飛び込んでくることがあります。つい最近まで建物が建っていたけど、どんな建物がそこにあったのか思い出せません。このように、普段目にしていたはずなのに、意識として残っていない現象に皆さんも思い当たることがあるのではないでしょうか。
脳科学的には、ヒトは「見たいものしか見ない」「見えた現実を自分に都合よく変換してしまう」そういった生き物だそうです。自分にとって必要なもの、価値のあるもの、利益をもたらすもの、そういったものにはしっかりと目が向くのですが、興味のないもの、利益をもたらさないものなどは視界に入ったとしても、脳に定着しないのです。
さて、このことを酪農現場に当てはめてみましょう。私は現在、大学農場のセンター長という立場ですので、牛舎に赴いては改善箇所を見つけるべく観察して歩きます。そうしますとさまざまな不具合、改善ポイントに目が止まります。
例えば、クロースアップ牛の飼槽に草が足りないことがあります。
大切なステージの牛達なので「余るほど給与してもらいたいな」と感じながら、同時に「どうしてスタッフはこの状況を疑問に思わないのだろうか。自発的に草を足してもらいたいな」と考えるわけです。
ですが、このことを「ヒトは見たいものしか見ない生きものである」という、脳科学的な視点で捉えてみます。忙しく駆け回っているスタッフは、目の前の仕事に頭が占められてしまい、乾乳牛への牧草給与状況は視界には入っているけど、意識には届いていないのかもしれません。見えているのに見てない状態です。
これまでは、「どうしてやってくれないの?」と現場に対して不満を抱えていた私ですが、そう思うようになると心が軽くなっていきました。自分にも見えているのに素通りしてしまっているところがあるはずですから、気づいていないヒトに腹を立てても仕方ありません。腹を立てるのではなく、見えるように(意識に届くように)示してあげれば良いだけなのです。例えば、スタッフも交えたチャットツールに写真をあげるとか、そんな小さな取り組みです。
これもよく言われる言葉ですが、「過去と他人は変えられない、変えられるのは自分だけ」です。スタッフにイライラする前に、自分を変えると気持ちが楽になる、今日はそんなお話でした。
PROFILE/ 筆者プロフィール
泉 賢一Kenichi Izumi
1971年、札幌市のラーメン屋に産まれる。北大の畜産学科で草から畜産物を生産する反芻動物のロマンに魅了される。現在、農食環境学群循環農学類ルミノロジー研究室教授。2023年より酪農学園フィールド教育研究センター長。専門はルーメンを健康にする飼養管理。癒やしの時間はカミサンとの晩酌。