『Dairy Japan』2024年10月号p.46「特集:乳質改善で収益アップ-ルポ3」より
岡山県勝央町で経産牛26頭を飼養する小村牧場。小村拓矢さんは、Uターン就農で両親が営む酪農場を継承しました。サラリーマン生活で身につけた課題解決能力を活かし、乳房炎防除への取り組みを強化。それが良質乳生産へとつながっていきました。
●サラリーマン生活で得たもの
小村拓矢さんは高校を卒業後、電子情報を専攻して大学へ進学。卒業後は7年間、サラリーマン生活を送ったといいます。入社後6年目に大阪本社から自宅にほど近い岡山工場勤務となり、このとき両親の体力面もあり、酪農とサラリーマンのWワークを開始しました。「頑張りへの評価が酪農とサラリーマンとでは違う。酪農は頑張っただけ生産できる(収益につながる)ことに魅力を感じた」と次第に酪農への思いが高まり、後継を決めることになったといいます。
拓矢さんは会社で開発職、なかでも受託関係のチームに属し、さまざまな業種のお客様が抱える問題に対し、論理的なプランの提案や研究を続けたことで問題解決能力が身に付きました。そのスキルが、「酪農のことはわからないけれど、やれないことはないだろう」という自信につながったといいます。
●最初の課題
拓矢さんはWワークの段階で初めて搾乳に携わりました。そのなかで最初にぶつかったのは、乳質のバラツキ。「なぜ昨日まで良かったのに、今日は体細胞数が跳ね上がった?」「なぜこの牛は体細胞数が高い?」といった、日ごとや牛ごとの乳質のバラツキです。
「エラー(突発的な体細胞数の増加)が出た場合は菌を特定して、それに対するアプローチを実践することが原則だが、当時は毎回検査をするわけではなく、自然に落ち着けばOKだし、そうでなければ菌を特定することもなく抗生剤治療をすることもあった。対応に一貫性がなかった」と拓矢さんは、問題点を分析しました。
そして、家畜保健衛生所に乳房炎の全頭検査を依頼すると、黄色ブドウ球菌(SA)が検出されました。はじめは「SAは搾乳機を介して感染する難治性の乳房炎だと考えていた。2頭のSA罹患牛を奥に繋いでいたが、手前の牛が簡単に新規感染したことで違和感を感じた」と理論と実際の差に困惑した拓矢さん。「問題を捉えられていないので一斉の全頭検査をすると、牛群の半分がSAを保有していることがわかった」と全体を見渡すことができたと振り返ります。
●問題を解決するために
「優秀だと思っていた牛がSAを保菌していた。体細胞数だけでSAの有り無しは判断できないし、検定で数年間、体細胞数が低い牛でも保有しているケースもあり、それらがSAの基地局のようになっていた」と、こうした事実から拓矢さんは、体細胞数が高い牛だけにアプローチするようではだめだと考えました。
その後、乳房炎検査のタイミングを検討。乳量が落ちる乾乳期の手前で治療することが有効だと実感したため、検査は乾乳前にすることにしました。ルール化したのは体細胞数の高低ではなく、検査をしてSAをはじめ原因菌が検出されたら乾乳期治療にすること。乾乳期を経て新規感染することもあるので、初乳も検査をすることとしました。拓矢さんは、「こうしたWチェックで乳房炎を管理する体制を築いた。もちろんスポットで体細胞数が高くなったり、ブツが出たり、通常とは違うエラーが出たら検査を実施する」と徹底した検査体制を構築しました。検査を続けることで乾乳前検査は、体細胞数が低く、総じてエラーがない場合は、SAだけの検査とし4分房ぶんを1本にまとめた合乳で問題なしとルールに加えています。
●SA・レンサが強い分房は「冬眠」
通常、盲乳処置をすると、その後は当該分房は泌乳されることはありません。しかし、拓矢さんは乳房炎治療で搾乳不可とした分房(≒盲乳)を乾乳前に復活させてから乾乳期治療をするのだと言います。すると、産後は何もなく泌乳することが多いとも。
●初産も疑ってかかる
拓矢さんは、「初産でもSAが出ることがあるので、導入であればまずは疑って受け入れる。導入時に受入検査をし、結果が出るまでは“疑惑群”として繋ぎ場所などを工夫する。また自家産の初産でもSAが出たことがあったので、農場ではSA検査で陰性だった乳牛の初乳を冷凍でストックし、給与する。お産直後の母牛の初乳はSA経口感染を懸念し、給与しない」と初乳からの感染防止にも力を入れ、牛群全体の感染防止に力を入れています。
PROFILE/ 筆者プロフィール
前田朋宏Tomohiro Maeda
Dairy Japan編集部・都内在住。
取材ではいつも「へぇ!」と驚かされることばかり。
業界に入って二十数年。普遍的技術、最新の技術、知恵と工夫、さまざまな側面があるから酪農は楽しい!