『Dairy Japan』2024年6月号 p.46 ルポ3より
新規就農の裏にはいくつものドラマがあります。当ルポで取材にうかがった筒井牧場(岡山県真庭市)の筒井省悟さんは、豊富なヘルパー経験を経て新規就農。その理由は「子ども達の夢のため」と話してくれました。
酪農家に生まれたが…
筒井省悟さんの実家は酪農業を営み、現在は省悟さんの兄が継いでいます。中国四国酪農大学校を卒業後は酪農ヘルパーに。
「仕事だから牛に関わってきましたが、ヘルパー作業をしてみても、酪農家になる気にはなれなかった」と当時の心境を話します。一時は兄の牧場で一緒に酪農をすることも考えたそうですが、ビジョンが一致することはなく、省悟さんは酪農ヘルパーやほかのアルバイトなどで生計を立て続けてきました。正職員の酪農ヘルパーから臨時ヘルパーに業態を変え、ヘルパーとしての就業日数は変えずに、さまざまなアルバイトを経験したと言います。
転機は40歳
そんな省悟さんが酪農家になることを考えたのは40歳のときだそう。「二人の子どもがそれぞれスポーツ優秀でここから離れた県南の高校に通い、彼らの夢のために大学にも通わせたいと考えました。それにはヘルパーやアルバイト給与、妻の給与では足りず、もう一つ、いや二つも仕事のステージを上げなければならなかった」と発想を変えました。そして「現役の酪農家にも就農を相談したところ『お前にやれないわけがない』と後押ししてくれて」と、本気で酪農家になることを決意しました。だから省悟さんは酪農家になったきっかけを「子ども達の夢のため」と断言します。
並走期間ゼロでオーナーに
省悟さんが継承したのは、父のいとこである叔父が経営する牧場です。後継者のいない叔父夫婦は、「私達がリタイアしたらこの牧場は潰さなければならない。継いでくれる人がいれば」と言い、後継者を探していました。タイミング的にも、目的(省悟さんのステップアップと叔父夫婦の後継者問題)も合った両者は、農協の仲介によって第三者経営継承に向けて話し合いを始めました。
農協から資産価値などを加味した経営移譲に関する条件を前任者に提示してもらうも、なかなか価格面など条件が合わず話し合いはスムーズにはいかなかったと省悟さんは振り返ります。
子ども達のために生活基盤のランクアップを図るという目標があった省悟さんは、経営移譲の前日までそれまでどおりヘルパーとアルバイトを続け、移譲当日に牛舎を譲り受けて経営者になりました。そのため、一般的には前任者と継承者で一定期間設定される並走期間(経営移譲に向けて両者で働く)はゼロという異例のスタートだったと言います。
長年のヘルパー経験を活かして
しかし並走期間ゼロでの経営移譲に対し、不安は一切なかったと省悟さん。それは酪農ヘルパーとしてこれまで23年間働いた経験と、数多くの酪農家とその技術を見てきた実績があったからでした。
省悟さんは、「当初はバトンタッチ後、3年間、叔父夫婦が被雇用者として農場に残る予定だった」と移譲計画に触れますが、「諸事情で叔父は4カ月で、叔母は7カ月で牧場を去ることになりました。叔母が牧場を去ったタイミングでミルカーユニットを更新。最新のミルカーユニットはとても軽量で、妻も『これなら私でも持ち運べる』と言ってくれて二人酪農にシフトしました」と本格的なスタートを振り返ります。
「営農上で困ったことがあれば、ヘルパー時代にお世話になった酪農家に相談します。長年の経験と関係性があるので悩み事に応じて、相談する酪農家は多くいますから」と省悟さんは言い、ヘルパー経験が現在の営農の基礎となっていると教えてくれました。
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最後に省悟さんは、これから新規就農を目指す方へ「当事者同士ではなく、お互いがきちんとした代理人を立てて、法的に話を進めることが大切」とアドバイスします。とくに金額的な問題は後に尾を引きかねないがゆえに、第三者が入って契約を交わすことが必要だと話してくれました。
PROFILE/ 筆者プロフィール
前田朋宏Tomohiro Maeda
Dairy Japan編集部・都内在住。
取材ではいつも「へぇ!」と驚かされることばかり。
業界に入って二十数年。普遍的技術、最新の技術、知恵と工夫、さまざまな側面があるから酪農は楽しい!